BENRY[ベンリ―]

法学の予習ノート

精神的自由2

判例の目的効果基準とレモンテストの違い

目的効果基準(津地鎮祭訴訟):当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が特定の宗教に対する援助助長促進圧迫干渉等になるような行為、が憲法20条3項の宗教的活動に当たる。

 国家と宗教とのかかわり合いが原則として許容されることを前提に、例外的な過度の関わり合いかどうかを目的効果の側面から判断する

レモンテスト:①国家の目的の世俗性、②行為の主要な効果が宗教の振興・抑圧でない、③宗教との過度のかかわり合いでない

津地鎮祭

 地方自治法242条の2第1項4号に基づく住民訴訟の事案。

 外形的側面から判断すれば、専門の宗教家である神職が、所定の服装で、神社神童固有の祭式に則り、一定の祭場を設け一定の祭具を使用して行ったことから、宗教との関わりをもつものであり、20条3項の「宗教行為」に当たるとも考えられる。

 

①行為の行なわれる場所、②一般人の宗教的評価、③行為者の意図や宗教的意識、④行為の一般人に与える効果の四要素から、外形としては宗教行為に見える地鎮祭が、実質として宗教的側面が弱いということを示し、そのことから目的効果基準に当てはめても政教分離に反しないということを導いている

愛媛玉串料事件

どのような訴訟か

 知事・県東京事務所長・県生活福祉部老人福祉課長らの行為が県に生じさせた損害を代位して請求する住民訴訟(地方自治法242条の2第1項4号)

公金支出の内容

 昭和56年から61年にかけて、

東京事務所長が、靖国神社に対して玉串料として45000円を玉串料として、31000円を献灯料として、

老人福祉課長が愛媛県護国神社に対して供物料として9万円を支出した

多数意見の玉串料等の評価

玉串料・供物量→重要な意義を有する霊大祭及び慰霊大祭において宗教上の儀式が行われるに際して神前に供えられるもの

献灯料→靖国神社の祭祀中最も盛大な規模で行われる祭祀であるみたま祭において、境内に奉納者の名前を期した灯明が掲げられるというもの

いずれも各神社が宗教的意義を有すると考えていることが明らかなもの

多数意見の政教分離違反の判断理由

 玉串料、献灯量、供物料は、慣習化した社会的儀礼にすぎないものとはなっておらず、一般人としてもそう評価していない。また、行う者としても宗教的意識を有していた

→一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすもの

→目的が宗教的意義を持ち、効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になる

→相当とされる限度を超えた関わり合い

個別意見の批判(判断枠組み)

 文言からは、原則禁止、例外許容となるべきなのに、それが逆転している。

 判断基準(・用語)が曖昧

 国家と宗教との結びつきを許す範囲をいつの間にか拡大させ、ひいては信教の自由もおびやかされる可能性がある

個別意見の批判(本件支出の評価)

 参列がないこと、金額が小さいこと、事務的に交付されたこと、慰霊であることから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することはできない

 また、慣習化した社会的儀礼としての側面を有することは否定し難い

再反論

空知太について、目的効果基準を使って判断することは可能??

 できなくはないと言える。

 ただし、空知太については、明らかに宗教的な行為であり、世俗性が介在していないことから、目的が宗教的意義を有するし、効果が特定の宗教に対する援助助長促進になるということで弾かれるだけ。

 もっとも、空知太で目的効果基準が使われなかった理由として、藤田裁判官は、上記のように世俗性が介在しない以上、目的効果基準を使う前の段階としている

なぜ政教分離は厳格に解されなければならないのか

 大日本帝国憲法における信教の自由を保障する規定が極めて不十分で、国家神道に対し事実上国境的な地位が与えられ、それに対する信仰が強制されるとともに、一部の宗教団体に対しては厳しい迫害が加えられるなど、明治維新行こう国家と浸透が密接に結びつけ種々の弊害をしょうじたことから

 また、信教の自由が人間の精神的自由の中核をなす基本的人権であるから、信教の自由を無条件に保証し、更にその保障を一層確実なものとするため

エホバの証人剣道拒否

代替措置をとることが政教分離規定に違反しないとする理由

 目的効果基準から、目的も効果も当たらないとする。

 しかし、よくよく考えると、果たしてそうか。

 やはり、効果のところは少し怪しい。しかし、目的は宗教的な別異取扱を目的とするものではなく、宗教に限らず、履修拒否の理由を探ることであるから、ひっかからないのではないか

空知太神社

概要

 砂川市の住民である原告が、砂川市長Yに対して、土地の無償提供を継続していることが違法に財産管理を怠るものであるとして、違法確認を求めた事案(地方自治法242条の2第1項3号)

無償利用提供を受けていた主体

 町内会(本件神社は宗教法人ではない)。近隣住民で構成される氏子集団が管理。

無償利用提供されるようになった経緯

土地1・4→昭和23年ころ、後者増設及び体育館新設計画により、移転先敷地としてDが提供。Dは、その後、砂川町に寄付。議会で、祠等に対し無償で使用させる議決がなされた。昭和45年、祠・地神宮を除き施設が壊され、建物内の一角に祠が移設。鳥居が新設された。

土地3→昭和45年、町内会が、Eらから無償で借りた後、Eらが砂川市に寄付。

土地2・5→昭和45年町内会が、北海土地改良区から無償で借りた。その後、市が改良区から買い受ける

本件土地上の施設、所有者、管理

 S神社の祠、神社という表示、鳥居、地神宮。

 所有者は、S連合町内会

 氏子集団が管理。

開催される行事

 初詣、春祭り、秋祭り

多数意見で適用されている条文

 89条。

多数意見の判断枠組み

 宗教的施設の性格、当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯、当該無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等、諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断する

多数意見の判断枠組みが採用された理由

 純粋に宗教施設であるから、目的効果基準が用いられなかった。

多数意見の考慮要素

 宗教的施設の性格、当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯、当該無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等、諸般の事情

多数意見での宗教的施設の性格の判断

 神社神道としての施設。

 これに対し、習俗的、世俗的施設の意味合いが強い施設とする見方もある。

多数意見で89条にいう「宗教上の組織もしくは団体」とされた理由

 氏子集団が、宗教的行事等を行うことを主たる目的としている宗教団体であって、寄付を集めて本件神社の催事を行っていることから。

多数意見の、本件土地利用提供行為やそれに対する一般人の評価についての判断

 一般人の目から見て、市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ない

 反対意見:利用実績や、扉が閉ざされたままで参拝する者は皆無であることなどを考えると、単なる宗教的施設に利用提供する場合とはおのずから利用提供の意味が異なってくる。特定の宗教に対する特別の便宜の提供や援助に当たるか否かについての判断や一般人の評価にも影響を与える。これを取り立てて特定の宗教に対する便宜の供与や援助に当たるとまでは、当事者はもとより一般人も考えないとみるのが常識的 

 再反論:個々人の信教の自由の保障を全うするため政教分離を精度として保障したとされる趣旨及び経緯を考えるとき、同条の定める政教分離原則に違反するか否かの問題は、必ずしも、問題とされている行為によって個々人の信教の自由が現実に侵害されているか否かの事実によってのみ判断されるべきものではないのであって、多数意見が本件利用提供行為につき「一般人の目から見て、市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ないものである」と述べるのは、このような意味において政党というべきである

破棄差戻しの理由 

 神社物権を撤去させると、地域住民らの宗教的活動を著しく困難にし、氏子集団の構成員の信教の自由に重大な不利益を及ぼすものとなる。

 そこで、上告人において他に選択することのできる合理的で現実的な手段が存在する場合には、上告人が本件神社物権の撤去及び土地明渡請求という手段を講じていないことは、財産管理条直ちに違法との評価を受けるものではない。

 それを十分に釈明していなかったことから、釈明義務違反で(審級の利益を保護するために)差し戻した

反対意見:そもそも本件では釈明義務が生じる場面ではなく、釈明義務違反とはならないのではないか

もし町内会に無償譲渡したら?

 政教分離違反となりうる。

 しかし、富平神社事件は、そもそも公有地となる前は前身となる部落から寄付されたものであったということや、信教の自由との衝突の観点から、89条違反としなかった。

 本件土地も、もともと町内会がD、E、改良区から無償で借り受けていたもので、実質的に町内会が所有していたといえるから、89条に違反しないと判断される可能性も高い

政教分離原則違反の判断基準

 目的効果基準